※「娘の成果紹介&プロセス紹介」の内容と被る部分もありますが、ぜひご参考ください。

娘本人がやっておいて良かったと口にした

そもそも本人が中学生の時に振り返る形で「英語をやっておいて良かった!」と自ら口にした。

これは大きいと思う。

親は親目線で我が子の将来を見据えた判断をしたり感想を持ったりしているだけなので、子供自身が大変だったけど今振り返るとやってよかったと実感したことは、親からすれば「ここまでやってきて本当に良かったし、これまでの選択は正しかったんだな!」と心の底から思えた瞬間でもあった。

そもそも小学生のうちに高い基礎英語力を身につけることって、正直、簡単なことではない。

1つの言語の基礎を習得しようというわけだから、やってる本人からしたら、かなりの負荷がかかった状態を何年か過ごすことになる。

正直、歌やゲームだけでそのレベルに到達できるのなら、本当にそれを選択してやりたいって思うような取り組みをガッツリやってきた。

小学生のうちに基礎英語力が身に付いてしまえば、後はとても楽な展開が待ってるし、その後の更なる成長は何とでもなる!

だから、何度か途中で止めたいと言い出したが、心を鬼にしてなだめて透かして何とかやり遂げさせた。

正直、それが正しい選択なのか、当時は全くわからない状態での暗中模索だった。

でも、中学になって娘本人の口から「小学生のうちに基礎英語をしっかりやっておいて良かった!」と聞けたときには、概ね正しい方向性で進んでこれたんだなと答え合わせできたような気分になることができた。

自分のスキルに圧倒的自信を持ち、新たなスキルアップへのモチベに!

中学に入ってから、だんだんと自分の英語スキルの高さを実感する出来事が起き始めた。

それによって娘自身が自分の英語スキルの高さの価値を知ることに繋がり、圧倒的自信を持つに至った。

その自信が新たなスキルアップのモチベに変わり、自分自身の将来を見据える形で英語力のさらなるアップを「自分事」として捉えるに至った。

親が誘導したわけでもなんでもなく、自然とそういう流れになっていったことは、とても大きなことだった。

小学生までに基礎英語を終えておかなかったら、こういうことは絶対に起きていなかった。

中学での英語の授業は、既にやったことの復習

これは実際に娘が中学に通っているなかで実感してきた細かい内容だが、これも貴重なことだったなと思っている。

娘は中学に入った時点で、既に中学で教わる英語は終わっていたし、高校で培っていく英語力もほぼ完了しているような状態だった。

なので、中学の英語の授業は意味ないものになってしまうんだろうなと思っていたが、実際は、想像以上に質の高い復習の日々にすることができた。

結果、基礎英語に関する娘の理解度はさらにアップした。

教える先生によって説明の仕方って異なってくる。

その先生の個性や独自の教え方などにより、生徒側が感じる印象や、もっと言えば、説明された英語に対する理解度にも差が出てくる。

小学生のうちに一通りの基礎英語は理解できた状態だったが、中学ではまた別の先生による解説、説明を受けることにより、以前は気付けなかったことに気付いたり、同じ内容でも、別の捉え方ができるようになったり、自分がしっかり理解しきれていない弱点を埋め合わせることができたりと、基礎英語への理解度がさらに高まった。

一般の生徒は初めて習ってアップアップしながらなんとか理解していく流れだが、娘は、全く違う次元で、より充実度の高い「英語の授業の活用」が実現する流れなった。

他の生徒が教えてくれと頼んできたりすることによる想定外のメリット

人に教えることでより理解が高まる…、これは容易に想像できる話だと思う。

ただ、同じクラスの友だちなどに「ここの英文の訳し方、教えてー!」みたいに質問されることに実際に遭遇すると、間違った内容などは教えられない…という責任感みたいなものが働いて、娘自身、しっかり確認してから教えるようなスタンスをとっていた。

なので、自ら別途復習したり、僕に確認をとってきたりして、結果、娘自身が質問される度に自身の英語力の確実度が少しずつ高まるような流れになっていた。


さらに同級生に教えているという事実自体が自信に繋がるし、中長期的に教えていた友達が、英語苦手を脱してかなり英語の成績がアップしたりってことも起こった。

そうなると、自分の英語力という観点だけでなく、人に英語を教えるという点においても自信をもつ…みたいな、これこそ異次元の体験を中学時代にする流れになった。


同時に、娘は英語以外はそこそこレベルであり、いわゆる英語だけ圧倒的にできる人…という感じで全般的に勉強ができるわけではなかった。

そういう娘に対して、全教科成績が高く進学校を目指しているようなレベルのクラスメイトから英語だけは「これ教えてー!」と質問されるようなことが度々あった。

それが起こった時は、娘自身、素直に喜んでいたし、くり返しになるが、改めてに自身の英語力の高さを実感することになり、その価値を再確認することになっていった。

超進学校を目指してるような優等生みたいな子にさえ、英語だけは圧倒的に勝っているという事実の再確認により、自分自身の将来的な強みの再認識と、そこをさらに伸ばしていくことの価値を大いに感じるに至った。

独自の更なるレベルアップのための取組みに繋がった

上記までのような経緯により、自分自身の英語力の高さをしっかり認識する流れになったことで、英語力アップによって自分の将来的な専門性がより確かなものになると理解するに至った。

それによって、英語力アップは「自分事」となり、中学時代は、学校での英語とは完全に別枠で、独自に英検2級レベルを突破するための取組みを実施していた。

中学時代に既に、英語に関しては親に言われてイヤイヤやるものではなく、自分自身の未来のために自らやりたいもの…という認識ができあがっていた。

これはかなり大きなことだと思う。

現に、様々な出来事を通じてモチベーションは勝手に上がっていき、中学3年の中盤で日本の英検2級を超えるレベルの台湾英検にかなりの高得点でパスすることになった。

中学3年生中盤で将来の専門性という観点で目途が立った→食いっぱぐれはないという確信

中学3年の時点で英検2級レベルをかなりの高得点で突破できたことで、準1級の突破も現実的にイメージできるようになった。

そうなると、親としては娘の英語力が遅かれ早かれ、一定以上の高いレベルに到達するであろうことは計算できる状態になった。

今の時代、オンライン英会話など、ネット経由でリモートで英語を教えるような形態の働き方もあり、それらはますます多様化して幅広いものになっていくと予想している。

であれば、実際に収入を得られるというレベルで考えてみても、将来的に一定以上の安定した収入を得て生きていける確率はかなり高くなったなと思えるようになった。

そもそも娘の英語力のアップは「食いっぱぐれたり、お金で困ることのない人生を歩んで欲しい」と思って始めたことなので、当初の心配が解消されつつあることで、親としてはとても安心できる状態になれている。

高校生で英検1級は夢物語だったけど現実的な目標に変わった

中学3年の中盤で日本の英検2級を超えるレベルの台湾英検にかなりの高得点でパスした…という現実がやってきたことで、英検準1級のパスもかなり現実的に感じられるようになった。

そこまできたことで、高校生のうちに英検1級を突破することが、それまでの完全なる夢物語から、現実的に狙っていける範囲内にある!…という認識に変えることができた。

合格できるかもしれないと思うことができなければ、とてもじゃないがモチベーションがもたないし、モチベーションなしで簡単に超えていけるような壁ではない。

娘本人が、もしかしたら越えられるかもしれないと本気で思えたこと、そしてそれを高校時代の最終目標として現実的にフォーカスできたことは非常に大きな価値だったと思う。